雑学のすすめ 清水 義範


清水 義範
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バタバタしている時にはこういう本が有り難いです♬

著者は1947年10月28日名古屋生まれの清水義範西原理恵子のイラストも面白いです^^
このコンビでは「おもしろくても理科」、「もっとおもしろくても理科」、「どうころんでも社会科」、「もっとどうころんでも社会科」、「いやでも楽しめる算数」、「はじめてわかる国語」、「飛びすぎる教室」、「独断流『読書』必勝法」が有ります。
私は『蕎麦ときしめん』からのファンです♬

色々な蘊蓄(うんちく)が書かれていますが、その中の1つ名古屋人はなぜ閉鎖的なのかについて?


著者の仮説によると、名古屋は江戸時代、大大名(徳川御三家)の城下町だったが、宿場町ではなかった。
東海道は江戸と京都を結ぶ街道で、当然名古屋を通っていると思うところだが、実は名古屋城下を通っていない。

それより少し南の、宮の宿(名古屋市熱田区)に一泊した旅人はそこから渡し舟で桑名の宿へ渡った。
宮(熱田神宮)は今では名古屋市内だが、昔の感覚では名古屋の隣の宿場だった。
それで地方から来た旅人は、そこまで来ても城下町に入ることはなかった。

つまり名古屋には旅人が来ることがなかった。
それゆえに、よそ者に対して腰が引ける。
都の京都でもなく、幕府のある江戸でもないという思いから、引け目もあってますます仲間内だけで結束してしまう。
そんなことが今に至るまで気分的につながっているのであろう。

どうして東海道は宮から桑名まで海路になっているのか、というと名古屋が面している伊勢湾には「♪箱根八理は・・・越すに越されぬ大井川♪」の歌どころではない大河が三本(木曽川長良川揖斐川の濃尾三川)流れ込んでいます。
江戸時代には西国からの敵の行軍をはばむために川に橋を架けなかった。

要するに三本の川が防波堤の役をはたして、名古屋が関東でも関西でもない(バカでもアホウでもない)タワケ(名古屋の人はこの言葉をよく使います)の地域ができた。


う〜ん、面白い説ですヽ(゜∇、゜)ノ