秋葉原の秋葉神社

今日はあまり知られていないアキバの歴史♪
秋葉原の名前は「秋葉神社」に由来しますが、元は違います。
1869(明治2)年暮れの大火で明治天皇の勅命により翌1870(明治3)年に現在のJR秋葉原駅構内(東京都千代田区神田花岡町)の地に、火の神火産霊大神、水の神水波能売神、土の神埴山毘売神の三柱を祀神として勧請したのが始まりで最初は「鎮火社」と言いました。
しかし当時の東京市民の多くは鎮火社の祭神は秋葉権現と別なのに「火伏せの神さまなら秋葉権現に違いない」と勝手に思い込んでしまい、火防(火伏せ:ひぶせ)の神、秋葉大権現と混同してこの社(やしろ)を「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶようになり、周辺の火除地(空き地)を「秋葉の原(あきばのはら)」とか「秋葉ヶ原」、「秋葉っ原(あきばっぱら)」言うようになりました。
明治21年に鎮火社の敷地は当時の日本鉄道会社の貨物停車場用地として払い下げとなり、神社は台東区松が谷3-10-7(JR上野駅から徒歩10分)に移転しました。もちろん鎮火社の名で移ったのですが、昭和5年秋葉神社と改称、俗称を本名としました。

処が火伏せの神が移った為か秋葉原に戦後幾度か火災が襲い、昭和37年7月26日には駅長が回送の特急とき号に撥ねられて殉職します。こうしてその年の10月29日に駅長室に秋葉神社の分社を祀ることになります。
一見普通の神棚のようですがこれは正規の神社で、毎年10月29日の午前中には秋葉原駅の駅長室で秋祭りが催され、紅白の垂れ幕が掛けられた駅長室内には制服姿の駅関係者と背広を着た秋葉原関係者たち150人あまりがぎっしりと整列して神棚に拝礼して秋葉原の安全を祈願します。