胡蝶の夢 荘子 第1冊 内篇


昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。

昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらとして胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。
にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。
しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
こういうのを、「物化」というのである。

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小学2,3年生の頃のある朝、私はうつらうつらと夢の世界にいました。
小鳥の母親が『nmzk、いつまでも寝ていないで起きなさい』と私を起こします。
nmzk:『鳥さんどうしたの、僕は人間だよ』
小鳥の母親:『何を寝ぼけているの、お前は私の子供なんだから人間なんかであるわけないでしょ、さあ今から空を飛ぶ練習よ』
nmzk:えーっ、そうだったんだ。人間の子供だと思っていたのは夢だったのか・・・。
私は一生懸命羽根をバタバタさせて飛ぶ練習をしましたFIGHT (^○^)//
・・・、また目が覚めましたがまだうつらうつらしています。

人間の母親:『nmzk、顔を洗いなさい。ご飯ですよ』
nmzk:うん?これが夢なのかしら、それともさっきのが夢なのか・・・?
その日から数日悩みました。

高校生になってこの本を読んだ時、この不思議な夢を思い出しました。